払田柵
旅の途中で看板を見かけるので立ち寄ってみた。
かなり前にも一度立ち寄っている。
とにかく広大。今は柵の遺跡の一部にに道路や建物がある。
(ウィキペディアから)
平安時代の城柵遺跡で、国の史跡に指定されている。文献資料にその名がないため、
「幻の柵」とも呼ばれる。軍事施設と行政施設の役割を果たしていたと考えられる。
日本における木簡研究の嚆矢となった遺跡としても知られる。
1902年頃、耕地整理の際に秋田県仙北郡千屋村(現在は美郷町)の水田から
200本余の柵木が発見されたが、この木は燃料にされたり、下駄に加工され売られた
りした。
しかし、後藤宙外が遺跡の存在に注目し、遺跡内の文字の書かれた木片を採集して、
敦煌出土の「木簡」に似ていると論考している。
1930年3月に文部省に嘱託された上田三平が発掘調査を開始し、払田柵跡の存在が
明らかとなった。1930年10月には本格的な調査が開始され、その結果、1931年
(昭和6年)に秋田県としては初めて国の史跡に指定された
六郷湧水郷
ここも何回か通っているが、ようやく街散策することができた。
車を観光情報センターにとめ、清水の湧いている一帯へ足を踏み入れた。
家族連れの方もおられ、静かなたたずまいを堪能していた。
美郷町の六郷地区に点在する60カ所以上の湧水の総称。
年間を通して水温12〜15度の水が湧き、清水の里として知られる。
湧水のなかにはユニークな名前のスポットも多く、かつて鷹狩りに訪れた佐竹の殿様が、
料理水に使ったことから名付けられた「御台所清水」などがある。
(ウィキペディア等を参考にしました)
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